2014年05月31日

石巻は古墳がいっぱい

 三河ほのくにの石巻は、古墳がいっぱいであった。 

 石巻といっても、三陸ではない。 愛知県西部を、ほのくにと言った。 姫街道を本坂通りといったが、本坂のもとになった地名である。 石巻市民館の自主サークル「姫街道」の、今年度総会と、講演会が30日開かれた。 

 講師は日本考古学協会会員であり、文化財保存全国協議会常任委員の森田勝三氏である。 

 姫街道が通る石巻は、古墳の宝庫であった。 いたるところにあり、出土品も多い。 貝塚、人骨も多数出てくる。

 石灰岩が多いことが、石室を造り易くしているらしい。

 古墳を造れるのは、支配階級である。 古墳があるのに、一般人の居住跡が見つからない。 

 今でいうところの、公園墓地のような性格だったらしい。

 また、貝塚があるのに、居住跡がないということは、貝のむき身を、内陸部の送る為の、中継地(加工工場)であったのかもしれない。


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