2024年12月24日
ホンダ・ 日産統合へ
<ホンダ・日産統合へ> 2024.12.24
ホンダ・日産・三菱が統合することが発表された。
三菱とは取引がなかったが、ホンダも日産も、顧客として随分通ったものだ。
入社したのが、昭和41年(1966)3月。
1ケ月の工場実習を終え、配属されたのは、営業部。
工場実習と言えばかっこいいが、要は現場手伝い。
会社は、精密ゴム機能部品製造業で、自動車、家電、事務機、繊維機械、などの部門があり、自動車部門に所属。
自動車でいえば、タイヤ、ワイパー、ドアシール以外の、ゴム部品製造。
いずれも、縁の下の力持ちのような部品なので、普通の人は見たことないものばかり。
実習後の営業会議で、部長の発言。
「日産サニー(1000㏄)が発売された。自動車業界は、画期的な時代に入る。」
確かに、前年にトヨペット、その後ホンダN360 など、今でいう大衆車が、続々発売された。
当時、トップの役員が、外車を利用するのを除き、車で通勤する者は、ほとんどいなかった。
大衆車の出現で、独身サラリーマンの自動車通勤が増えた。
私は、免許取得後、パブリカ800に乗ったが、事故でつぶして、サニー1000、やがてスカイライン1800、ブルーバード1700、コロナ1600なを乗り継いだ。
自動車増産とともに、会社も業績が増え、春闘は、1万円からの交渉という、今では考えられない状況だった。
EVの時代に入り、自動車業界も、大変な時代を迎えたことが、今回の統合につながるのだ。
EV時代になると、エンジン回りについているわが社の部品の数が激減し、定年を過ぎた頃、我が社も、ライバルに統合された。
ゴムは、音、振動を吸収する役割があるが、EVになると、その必要がなくなるのだ。
現役の人には「良いときに辞めますね」と、羨ましがられたものだ。
ホンダ・日産・三菱が統合することが発表された。
三菱とは取引がなかったが、ホンダも日産も、顧客として随分通ったものだ。
入社したのが、昭和41年(1966)3月。
1ケ月の工場実習を終え、配属されたのは、営業部。
工場実習と言えばかっこいいが、要は現場手伝い。
会社は、精密ゴム機能部品製造業で、自動車、家電、事務機、繊維機械、などの部門があり、自動車部門に所属。
自動車でいえば、タイヤ、ワイパー、ドアシール以外の、ゴム部品製造。
いずれも、縁の下の力持ちのような部品なので、普通の人は見たことないものばかり。
実習後の営業会議で、部長の発言。
「日産サニー(1000㏄)が発売された。自動車業界は、画期的な時代に入る。」
確かに、前年にトヨペット、その後ホンダN360 など、今でいう大衆車が、続々発売された。
当時、トップの役員が、外車を利用するのを除き、車で通勤する者は、ほとんどいなかった。
大衆車の出現で、独身サラリーマンの自動車通勤が増えた。
私は、免許取得後、パブリカ800に乗ったが、事故でつぶして、サニー1000、やがてスカイライン1800、ブルーバード1700、コロナ1600なを乗り継いだ。
自動車増産とともに、会社も業績が増え、春闘は、1万円からの交渉という、今では考えられない状況だった。
EVの時代に入り、自動車業界も、大変な時代を迎えたことが、今回の統合につながるのだ。
EV時代になると、エンジン回りについているわが社の部品の数が激減し、定年を過ぎた頃、我が社も、ライバルに統合された。
ゴムは、音、振動を吸収する役割があるが、EVになると、その必要がなくなるのだ。
現役の人には「良いときに辞めますね」と、羨ましがられたものだ。
Posted by mayonaka fujita at 16:17│Comments(0)
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