2020年12月21日
細江の歴史を学ぶ
<細江の歴史を学ぶ> 2020.12.19.
細江歴史研究会主催の「細江の歴史を学ぶ」講座に参加。
(細江図書館・姫街道未来塾共催)
毎月第3土曜日、3月20日までの4回講座。
明治元年から紐解いて、細江町の昔の風景・伝説・言い伝えを語り合い、細江町の成り立ちを知る。
この町は、姫街道気賀宿であり、かつては、買い物客でごった返した町だった。
道路が舗装され、車時代に適応する町に変身していく。
皮肉にも、地元の皆さんは、車を持つようになると、駐車場の無い商店街を避け、郊外のショッピングセンターを利用。
結果、空き店舗が目立つようになる。
家康が、今川を破って、この地域を蹴川(けがわ)と改め、今の気賀に変わったと言われる。
当時は「けが」と読んでいた。
都田川と、井伊谷川がぶつかるところは、毎年氾濫を起こし、あばれるたびに怪我人を出したという。
「けが」が「きが」と呼ばれるようになったのは、天浜線の前身国鉄二俣線が出来た昭和13年(1938)、「けが」では駅名として縁起が悪いので、「きが」と読ませたからと言う。
気賀氏が支配したから気賀と言う地名になったのか、気賀を支配したから「気賀」を名乗ったのかは、定かではない。
家康が入った時、全ての古文書を焼いてしまったので、何も残っていないのだ。

細江歴史研究会主催の「細江の歴史を学ぶ」講座に参加。
(細江図書館・姫街道未来塾共催)
毎月第3土曜日、3月20日までの4回講座。
明治元年から紐解いて、細江町の昔の風景・伝説・言い伝えを語り合い、細江町の成り立ちを知る。
この町は、姫街道気賀宿であり、かつては、買い物客でごった返した町だった。
道路が舗装され、車時代に適応する町に変身していく。
皮肉にも、地元の皆さんは、車を持つようになると、駐車場の無い商店街を避け、郊外のショッピングセンターを利用。
結果、空き店舗が目立つようになる。
家康が、今川を破って、この地域を蹴川(けがわ)と改め、今の気賀に変わったと言われる。
当時は「けが」と読んでいた。
都田川と、井伊谷川がぶつかるところは、毎年氾濫を起こし、あばれるたびに怪我人を出したという。
「けが」が「きが」と呼ばれるようになったのは、天浜線の前身国鉄二俣線が出来た昭和13年(1938)、「けが」では駅名として縁起が悪いので、「きが」と読ませたからと言う。
気賀氏が支配したから気賀と言う地名になったのか、気賀を支配したから「気賀」を名乗ったのかは、定かではない。
家康が入った時、全ての古文書を焼いてしまったので、何も残っていないのだ。

Posted by mayonaka fujita at 14:51│Comments(0)
│◆姫まつ通信・姫街道物語