三笠宮とスクエアダンス

mayonaka fujita

2025年02月12日 22:21

 <三笠宮とスクエアダンと建国の日> 2025.02.12.

 日本スクエアダンス協会総裁だった三笠宮は、昭和天皇の末弟だが、天皇に比べれば、かなり自由な行動、発言をしている。
 天皇の譲位や女姓天皇についても、80年も前から発言し、譲位を認めないのは、憲法に規定された基本的人権に反するのではないか、とまで言っている。

 この菊のカーテンに縛られない行動が、スクエアダンスなど、レクリエーション活動との関わりを持たれることになったのだろうと思う。
 スクエアダンスの会場では、皇室として特別扱いせずに、そこに自由があった事と、会員が仲間として扱ってくれた事が、原因だと思う。

 同宮は1932年に陸軍士官学校予科に入学、44年から陸軍参謀として、中国に渡っている。
 このことはご自分の意思か、やむを得ぬ流れに乗らされたかはわからぬが、この地で、日本軍の中国人(民間人)に対する、ひどい仕打ちを目撃することになる。

 中国での不埒な行動ををやめさせるべきである、と本国へ報告したが、ことごとく軍部(政府)に握りつぶされた。
 軍部は、宮家の肩書を利用しただけだったようだ。
 この報告は、戦後発見され、マスコミをにぎわせた。

 戦後、戦争の反省から、もっと歴史を知らなければならないと、研究の道に入った。
 古代オリエントの研究をテーマに選んだのは、キリスト教の歴史を知らなければならないという事からといわれる。
 学生や教授たちと、焼鳥屋や、劇場に足を運び、大衆文化に触れた。
 また歴史学者として、歴史的事実に反する紀元節の復活と、名前を変えた建国記念の日に反対した。

 スクエアダンスは、コーラーの言う通り(言わば命令で)踊るルールがある。
 スクエアダンス以外の世界では、民間人が、皇室の人に命令するなんてことはあり得ないこと。
 また、百合子妃だけでなく色々な人と手を取る、という事もあり得ないことだろう。

 毎年開催される全日本スクエアダンスコンベンションの写真を見ると、周りにはSPがいない。
 会場の外にはそれなりに待機しているのだろうが。
 実はこの時、スクエアダンサー全員が、SPの役割を果たしているのだ。 

 コンベンションでは、プログラム後の各部屋での宴会(我々はこれを、反省会と呼ぶ)があるが、ひょこっと顔を出されることもある。
 建国記念日に、話を振ると、神武天皇誕生なんて、縄文時代だといわれる。
 天皇誕生のはずの、紀元前660年なんて、せいぜい数家族の長(おさ)がいるくらいで、全くの作り話だと言われる。
 大学の教壇にも立ち、この講義をしているのだ。

 

 
 

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