親父の誕生日
<親父の誕生日> 2024.11.08.
忘れていたが、かみさんが「今日お父さんの誕生日よ」って。
よく覚えていたなー
計算すると、生きていれば108歳。
名前は「農夫哉」で、のぶやと読む。
親の後を継いで、農夫にしたかったのだろう。
親父の親父は、山形で何かわからないが、事業をしていたらしい。
それが倒産し、福島の郡山に夜逃げ。
親父は中学を出ると、横浜へ出て、今でいう高専に入った。
その後、薬局で働く。
これはのちに親戚から聞いたのだが、やけに薬にうるさかったわけが、分かる。
その後、計器製造の会社に勤めた。
技術系ではなく、資材購買工務関連を歩いた。
そこで、電気の知識を習得したらしい。
会社は、戦争中、武器を作っていたので、招集はされなかった。
のちに家で、東電が検査に来た時、家の配線を自分でやっていて、その見事さに、あきれたそうだ。
ミシンを電動にしたり、テレビをリモコンにしたり、色いろ発明をしたらしい。
生活を便利にしたいための発明で、特許はとってないという。
会社からの、改善活動の、表彰状が、遺品から複数出てきた。
コロナの前に、すい臓がんで、87歳でなくなった。
これは、一族では最高齢だ。
87歳というのは、意味のある年齢だ。
写真は、若いころの似顔絵である。
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