浜松第七連隊正門移築その後

mayonaka fujita

2014年05月26日 23:36

 「安住の地求め仮再建 旧陸軍飛行第七連隊ゆかりの門柱」 (文章は「中日新聞より転載)

 
 浜松市中区の葵東照宮にあった旧陸軍飛行第七連隊ゆかりの門柱の移設先を探していた住民有志の会「第七連隊の門を守る会」は4月28日、門柱を中区内の一時保管場所から北区三幸町に移した。

 市内公有地への永続的な移設・保存を目指していたが、期限内に調整がつかず、会のメンバーの親族が所有する農地で暫定的に「再建」された。 

 東京・立川の陸軍飛行第七連隊が1926(大正15)年に現在の航空自衛隊浜松基地やホンダ浜松製作所一帯に移駐して以降に建造され、戦後に葵東照宮に移設されたとみられる。当時の第七連隊の面影を残す数少ない遺構だ。

 取り壊し直前だった昨年9月、守る会の会長を務める仲井陽治さん(75)=中区葵東1=らが市と協議し、葵東照宮から約600メートル北の市有地に今年3月末までの期限付きで一時保管が認められた。

 守る会は浜松基地周辺や旧陸軍が関係する公園など、ゆかりがある公有地に移設できないかと市や関係機関と協議を続けた。七、八カ所に当たり、市には保管期限を1カ月延長してもらって調整したが、話がまとまらなかった。

 切羽詰まった時に、守る会メンバー奥田健司さん(67)=中区葵東1=の義兄鈴木荘一郎さん(71)=浜北区新原=が協力を申し出た。正式な移設先が見つかるまでは、現在の一時保管場所から約5キロ北にある鈴木さんの農地に門柱を立てておくことになった。

 28日は高さ約2メートル、2本で11トン近くある門柱をトラックで現地まで運び、大型クレーンでつり上げて設置した。守る会では門柱の歴史などを紹介する案内板も近く設ける考えだ。

 奥田さんは「地元に第七連隊があった歴史の証拠。あの時残しておけばと後悔はしたくない」と語った。会長の仲井さんは「たとえ2、30年かかっても安住の地は必ず見つける」と話した。


 25日、現地を訪れてみた。 葵東にあった時は、車両の出入りに、扉が邪魔だったので、外してあったが、新しい場所は、場所に余裕があったので扉をつけた。 

 扉はメンテしてないので錆ているのは残念。 第七連隊の表札も、戦後はがされているので、説明がないとわからない。
 
 それにしても、ここも仮置き場だ。市はなぜ、文化財として扱えないのか疑問だ。
 なお、移築費(2回分)数十万円は、守る会が私費で負担している。

関連記事